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行政の「あすの村人」という事業で、過疎脱却で若者を増やすために「仕事と家を用意する
から住民になろうよ」というものに、我が田舎家に白羽の矢が。振興会の人が言うには
「空き家は多いが、みんな、いつか息子が戻ってくるかもしれないから、と貸す話には乗っ
てくれない」らしい。
私「でも、家傾いて窓開かないし、五衛門風呂は錆びてるし、すきまビュンビュンで、手を
入れないと住めませんよ」
振興「改装費用補助があるから大丈夫、直しますよ」
私「山ほど荷物残ってるし、小屋もがらくただらけなんですが」
振興「残しておきたいものだけ言ってくだされば、それだけ残してあとは僕らで捨てますわPretty Renew 代理人
処分費用も補助ありますし」
と、なんとも有り難い話。

そこからトントン拍子で話が進み、ついに工事が始まり、脱衣所や水洗トイレができ、家の
傾きは直され窓もスイスイ開くようになり、なんとネットまで引かれました。
トイレなんてシャワートイレですよ、私の家にもないのに!

なんとスゲーっ!!
なんか狐につままれたようなオイシイ話です。家を貸すのに修理費も行政持ち、片付けも
無料でやってくれる!!
新たな住民の荷物が運ばれてくる中、私は「残すべきもの」の選別に行きましたPretty Renew 代理人
祖母の着物、写真、餅つきの石臼、火鉢、祖母と一緒に栗拾いをした籠を残すことに。
そしてさらに、悩んだ末に、長い間小屋に貼られてた金鳥蚊取り線香(水原弘の)看板と
ボンカレー(名前わからんが、「私にも作れます」と昔テレビで京都弁で言うてた着物の
おばちゃんの)看板も残しました。
私が小さい時、川から泳いで疲れて歩いて帰る道で、この看板が
遠くから見えると「もう少し」と頑張り、だんだん看板が大きくなると安心したものです。
子どもの頃は大きな看板だと思ってたのに、こうして見ると小さいものだったんだなぁ…。
結局、価値のあるものはなく、思い出のものを残しただけって感じで新しい住人に後を託し
た形となりました。
売る訳じゃなく貸すだけだし、それならお婆ちゃんへの罪悪感もないし、人が住んでくれる
ことで家も傷まないし、言うことなしの結果。

なのにこの寂しさは何!?
自分でも理屈のつかない寂しさがどっときた。
栗拾いができない?
いや、旅館の跡地に栗の木があるし、そこは貸してないから栗拾いはできる。
墓参りの拠点がない不便さか? 何なんだこの気持ちは…