2016年04月

183
今、司馬遼太郎の『関ヶ原』を読み返しているが、
つくづく石田三成の性格の気の毒さを、シンパシーを感じつつ、思う。
彼に欠けているのは、先天的なヒエラルキー感覚である。

反対に、徳川家康は、ずば抜けてそれが優れていた。
江戸幕府という驚異的な長期政権の土台を築いたのは、先天的にタイプ6であった上に、後天的にも人質生活など慎重さを要する境遇によって鍛え抜かれた、家康のヒエラ。

先天的にヒエラルキー感覚に優れているのは、
 タイプ3?タイプ6?タイプ9
である。
他タイプでも、3?6?9の要素を持った人たち(タイプ3寄りの2や4、タイプ6寄りの5や7、タイプ9寄りの8や1)は、ヒエラルキーを重んじる。

反対に、ヒエラルキーに縛られない価値観を持つのは、
 タイプ1と2の境界線(石田三成など)?
 タイプ4と5の境界線(竹中半兵衛など)?
 タイプ7と8の境界線(真田幸村など)
に近い人たちだ。

タイプ1?タイプ2?タイプ4?タイプ5?タイプ7?タイプ8の中寄りの人たちは、どちらにも柔軟に対処できる。

つまり、先天的性格として、
ヒエラルキーを重んじる派:重んじない派:中道派の比率は、
15:6:6なので、人間界にはヒエラルキーが在り続けるという結論だ。

私が、三成の残念なヒエラルキー感覚にシンパシーを抱くのは、
私自身がタイプ5寄りの4で行銷策略、ヒエラルキーが苦手だからだ。
ヒエラルキーが、嫌いでもある。

しかし、無ければ集団は混乱するだろう。
ヒエラルキーが、必要なものだというのは分かる。
ただし、清潔なものに限ると思う。

人が2人以上集まれば、ヒエラルキーが生まれるのは自然の摂理。
ただし、それは固定されたものではなく、状況により変化するものである方が望ましい。
固定されてしまうと失眠、不潔さが生じ、格差が開き、集団全体が不幸になる。
集団は、個々の尊重(ヒエラルキーによりその多寡はあっても)があってこそ、幸福を維持できる。

まりニャンは、我が家で生まれ我が家で育った、世界で唯一の猫。 気性が純良素直で明朗快活、心許せる相手にはとことん懐っこい。 クーの血を引き、クーの面影を表情に宿す、 私にとっては、かけがえのない宝物のような猫である。 母猫との同居が長かったせいか、いつまでも子猫っぽさが残っていたが、 昨日10歳の誕生日を迎え、さすがに風格が着いてきた。 7歳の春、母猫が彼岸へ旅立った。 まりニャンは、それまで一歩も外へ出たことのない室内猫だったのに、その日以降、毎日外へ出たがるようになった。 家に戻ると、おしゃべりするように盛んに鳴く。 それはまるで、「母猫を探しに行ったけど、今日も会えなかった」と 訴えているようだった。 今年の春、愛犬ハナも亡くなり、長男も家を出て、 我が家は、ガランと寂しくなった。 まりニャンが一身に、家族3人の癒しと和みの役目を、引き受け続けた。 まりニャンは、その役目を立派に果たした。 私は、まりニャンだけで充分だったが、 夫と娘がしきりに寂しがり、子猫を欲しがった。 9歳のうちなら、まりニャンも新入りを受け入れる望みがある。 それで、5月半ばのことだが、生後一ヶ月半のメスの子猫をもらってきた。 そしたらこれが、活発過ぎるほど元気一杯の黒猫だった。 まりニャンは、最初のひと月ほどは、 「フーッ! シャアーッ!」 と怒って寄せ付けなかったが、だんだん慣れてきた。 元々心優しい性格なので、少しずつ受容していったのだろう。 子猫は、首元にほんのり三日月模様があるので、『ルナ』と名付けた。 しかしもっぱら、「黒すけ」とか「ブラックデビル」とか呼ばれている。 まだ2ヶ月なので、手の掛かる時期がしばらく続く。 まりニャンには、苦労をかける。

↑このページのトップヘ