2016年03月

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ひっそりとつくし採りに行った。 川の急な斜面につくしは生えている。 川に落ちそうになりながら必死に採る。 こんな小さな香檳、干からびた川だから落ちても大丈夫だけど、 もし、これが、ゴウゴウと水の流れる大きな河だったら,落ちたら事件だ。 「つくし採りの老女、河に流される…」なんて新聞記事が掲載されるに違いない。 そんな時は、それは間違いなく私ですから。 つくし採りは毎年reenex 膠原自生、近所のTを誘って行くのだけど、 今年はTを捨てて一人で行った。 ここのところ、Tが嫌いだ。 私に平気で嘘をついた。 騙されたフリをしているけれどreenex 效果、嘘をつくような人は嫌いだ。 金輪際付き合いたくないと思う。 私の気持ちに気づいてないアホなTは、 いまかいまかと首を長くして私の誘いを待っているに違いない。 可哀そうやと思うけど、いまは同情したらアカン。

読書をしない、わたし。が、立ち読みは、毎週。
そんなわたしが、本を買った。
まあ、なんと、ニーチェ。

そもそも、なにもすることがない母のために、退屈しのぎに本を買ってあげようと思って書店に立ち寄った。
もともと本など読まない母だが、時間が腐るほど、文字通り、死ぬまで持ち時間があるので、
なにか母に適した本はないかと物色していた。

すでに、もう1冊はプレゼント済み。
英国人ベニシアさんの京都、大原での生活を中心に、写真を主体にした四季折々の自然を写した本。
けっこう、母は喜んでくれていた。

その次の週も本を探した。
ブッダの言葉集が目に留まった。
これもいいかも。
でも、とりあえず、1週間考えよう。
母にどんな本がいいか、聞いてみたところ、新品でなくても、わたしが読んだあとの本でいいと言う。
なら、母向きではなく、自分が読みたい本にしようと、選択基準を切り替えた。
そう思ってブッダの本コーナーに行くと、隣に、ニーチェがあった。
という長い長い、前置き。

現代風に、超意訳されていて、活字嫌いのわたしにも、すんなり読める。
最初に、ぱらぱらと読んだ時に、あれ?と思った。
なぜなら、思っていることと同じだからだ。
こんな内容なら、わたしのブログは、ニーチェのパクリだと思われそうだ。
あるいは、自分の考えなのか、ニーチェの考えなのか、ボーダレスになって自分でも混乱しかねない。

太宰治の「人間失格」を初めて読んだとき、「あ、これは、どんぴしゃり、わたしのことだ」と思った。

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